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家族紹介

 投稿者:3G・野球部の松本メール  投稿日:2011年 8月 2日(火)04時29分49秒
 

野球部・3Gの松本です。

この歳で今更ドラッカーも無いだろうと思っていましたが、54期生のホームページの影響で、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」を読みました。 わが野球部は、一時期8人しか部員がいない時期がありましたが、地区予選を勝ち抜き、西東京大会に出場したことを思い出しました。 その試合前、部員数が少ないチームでしたので、私がノックしたのですが、相手チームの人数に圧倒され、へたなノックになり、相手チームの補欠数十人にヤジられたこと、接戦で負けたこと…54期生のホームページをきっかけにして、忘れかけていたことが少しずつ蘇ってきました。

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更に小学校の同期会の案内が入り、今年の夏は過去との再会の連続で頭の中がいっぱいです。

小学校の先生と同窓生に送った原稿を54期生のみなさんにもお送りします。 何か一つの区切りが付いた気持ちです。

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宮崎先生、

同窓のみなさん、

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中塚君から田原小学校100周年記念を期にわがクラス同窓会が開催されるとの電話があり、懐かしい宮崎先生も出席されると聞き、素晴らしい同窓会になるでしょうね、残念ながら参加出来ません。それでは、中塚君から近況報告と写真を送るように言われましたので、報告させて頂きます。

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 半世紀以上のご無沙汰、皆さんのイメージがなかなか戻らず、心もとない思い出ですが、それでも宮崎先生が優しい先生だった事は覚えています、元軍人(?)の浅間先生に頭を小突かれたり、校庭に立たされたりで多少いじけていた時期もありましたが、宮崎先生のお陰で“温かい思い出”を頂けましたこと、心よりお礼申し上げます。

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私は、1983年からNJ州で駐在員をしています。 1904年に9カ月間逆単身赴任をした時期もありましたが、転職して米国での生活が続いています。 駐在員といっても、正式には60歳で本社の籍はなく、今は現地採用ということになります。

そろそろ、好きなゴルフ、ヨガ、ジョッギングの毎日でもいいかなと思っていますが、妻が毎日家に居られるのは「イヤ」と言われ、会社で粘っています。

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家族構成

: 岡山出身で鬼退治のもも太郎の妹と思われる性格、真面目です、私が気を抜いて馬鹿をするといつの間にか赤鬼にされています。 

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娘: ハーバード大学の大学院の卒業式の前日にフランス人の父、スエーデン人の母を持つ婿殿にプロポーズされ、謝恩会を婚約披露宴にしてしまった二人、その後パリ、ローマを経てベルギーで暮らしています。

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孫娘: アメリカとフランスの国籍を持つ孫娘は、現在1才8カ月。 フランス語と英語が、中心の生活。 スエーデン語・日本語のでき具合が将来の小遣に響くと思われる。   納豆ご飯、卵ご飯をいかに食べるかが今後の楽しみ。

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息子: 聴覚障害者。 ロッチェスター工科大を一年で中退、30才になっても定職を持たず、聴覚障害者の仲間を訪ねてアメリカを歩き回っています。

24才の頃、リュック一つでヨーロッパの旅に、途中何回か、すりに遭ったにもかかわらず、ローマで貴重品を盗まれるという大失態、幸いにもズボンに入っていた携帯電話と銀行カードが無事。

助けてくれとのメールを読む妻の顔から血の気が引いていきました。  

何とか、日本のパスポートと米国のビザの再発行を2日後に手配出来ましたが、すぐに帰国せず、1か月以上経って私の携帯にアイルランド航空の女性から“息子さんが目の前にいます、ダブリンからNYへの切符をお支払いされますか?

“ももも…勿論です”と答えると、優しい声で“便利な時代になりましたね…”

今でも年に数回、寅さんのおじさんみたいな役回りをさせられています。

息子こそ、浅間先生のような方が必要でした。

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以上、私と家族の近況です。

みなさん、いつの日かの再会を楽しみにしています、それまでくれぐれもお体をご自愛頂き、元気でいて下さい、お願いします。

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2011712

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追:写真説明

①     今年6月、娘の親友の結婚式に参列。 私の両脇が妻と娘、あわてて参加して妻の横に立っているのが婿殿。 (NYの教会中庭にて)

②     今年4月、私と孫娘。(送付済み)

③     昨年4月、姪に会いに一年ぶりに帰ってきた息子と孫娘。 息子は2日後には、ふらりと旅に出ました。 (シムカードが見つからず)

200912月、ベルギーの娘宅で孫娘の誕生とクリスマスを娘婿の家族と一緒に祝う。

頑張ろう!という気にさせる優勝

 投稿者:川井 浩メール  投稿日:2011年 7月28日(木)13時46分56秒
  女子サッカーの優勝場面は何度見ても感動しますね。 もうだめかとあきらめかけたときの同点からの逆転優勝はドラマチックだ。 人生あきらめてはいけないという教訓と見本だ。 こんなドラマが現実に起きているということが勇気を与えてくれますね。夢物語では無く、努力に幸運の女神が微笑んでくれる幸せな瞬間だ。 ということは、現実には報われない努力がどれほどあるのだろうか、という逆の事実認識にもいたり、う~ん、またすぐに現実の世界に引き戻される気もする。 それでも、努力すればやがては幸運の女神が微笑んでくれるチャンスがあるということを日本女子サッカーチーム実証してくれたわけだから、めげずにまいりましょう! それにしても、自信満々で3連覇を目指していたドイツチーム、優勝を目の前にしてそれが指の間から抜け出ていったアメリカチーム、まさかまさかの負け試合のスウェーデンチームの悔しさはどれほどだったでしょうね。

ところで、国民の大半が望んでいる首相交代に応じない首相というのは北朝鮮状態ともいえる独裁政治に等しいのではないかとぞっとします。 小泉首相の郵政改革解散総選挙のときにも感じたこの国の政治の危うさをあらためて感じる。 あ、口にしないほうがいい政治の話をみずからしてしまった私。 愚痴をいってみたかっただけよ。
 

なでし子万歳

 投稿者:ジャカランダ  投稿日:2011年 7月20日(水)15時27分39秒
  Worldclup 決定戦をもれなく観戦しました。奇跡のような、夢のような、魔法のかかったような、実現ばなれしたなでし子達の活躍そして勝利でした。感動と興奮に悲鳴を上げ飛び上がってしまいました。日米両方のチームに声援していました。選手それぞれの素晴らしい動きに感動しました。
おめでとう日本!
 

訂正です

 投稿者:まー松久院  投稿日:2011年 6月27日(月)01時54分30秒
  報告書のなかで、避難所を、非難所と書いてしまいました。ごめんなさい。訂正お願いいたします。
 

第2回のご報告

 投稿者:まー松久院  投稿日:2011年 6月26日(日)23時58分30秒
  いつもご報告が遅くて申し訳ございません。6月16日石巻市へ行ってきました。石巻災害対策連絡会からのご要望で、新車20台、空気入れ20台(いわき市の方からのアドバイスです)をお届けしました。運送は、運送やさんにおまかせしました。われら弥次喜多コンビ(上原さんごめんなさい。勝手に名前つけました)は、喜多さんの事前の行き届いた準備で、スムーズに、安くいきました。連絡会には、多くのボランティアの方が、所属されていて、年齢、所属団体、体重問わずです。非難所だけでなく、ご自宅で避難生活をされている方にも、いろいろな物資を、お届けしています。市のほとんどを、回っています。自転車は、とても喜ばれました。あんなに、喜んで頂くと、また勇気がわいてきました。港はご存知のように、まだまだ手付かずです。はやくの、漁業の再会を祈るだけです。人口約15万人、のうち約6000人の方が、お亡くなりになっています。石巻市は、地震と津波だけではなく、それらで、下水があふれ、腰の高さまで、水につかったそうです。道の脇にある、どぶのような所に、ヘドロのような物がたまり、若いボランティアのかたが、大勢で、どろにまみれ、どのうにつめている作業の姿をみると、本当に頭がさがります。16日には、警察官の方がた、消防団の方々、自衛隊のみなさんのお力で何体かのご遺体が見つかったそうです。大きな声で、ご苦労様、ありがとうと心の中で、さけびました。国、県、市の公務員の皆さん、頭と体を使って働いてください。民間人は、いい知恵をもった人、大勢いますよ。災害地を見た率直な感想です。口の悪い友人談、公務員は、普段働いていないから、働けない、との事です。魚が大好きな弥次喜多コンビは、これからの、秋刀魚、鮭漁を、ただただ、待ってます。余談ですが、災害連絡会の、長のかたは、眼光鋭く、頭の切れそうなかたで、責任者の方は、若くてイケメンです。それだけでも、大丈夫だよね、と安心している、弥次喜多コンビです。後日、自転車のお礼のお葉書を頂き、便利に使ってくださっているようです。うれしく安心しました。これからも、どうぞ、ご支援お願いいたします。どうぞよろしく。(私の文章は、どうも幼稚で、うけねらいが見え見えです。はずかしい。現代国語の成績が、悪かったわけだ。と、今頃気がついてます。)
 

まー松久院さんの快挙

 投稿者:川井 浩メール  投稿日:2011年 6月21日(火)07時52分48秒
  政治の不毛を嘆くよりも実際に行動を起こしてしまう大切さを感じました。 また、その気の遠くなるような破壊と喪失を目前にして、人は結局一歩ずつしか前に進めないことを感じます。 戦争、自然災害、大恐慌は国家存亡の危機なのだと認識するとして国会の決議を超越してリーダーシップをとったのがルーズベルト大統領だったと今朝のラジオが伝えていた。 日本の政治家や国民に今回の災害を国家存亡の危機と認識している人がどれほどいるのだろうか? まー松久院様にはそれが見えているということなのでしょう。  

取り敢えずのご報告

 投稿者:デ・イーネ  投稿日:2011年 6月17日(金)08時00分10秒
編集済
  昨日16日、石巻市訪問、まー松久院さんの「自転車送ろう会」活動第二弾、一ヶ月しか経っていないのに、第二回目の自転車搬送にこぎつけるなんて、私は思ってもいませんでした。ですがまたまた20台の自転車と空気入れの寄贈に同行することが出来ました。まー松久院さんの努力の結晶です。今回訪れた石巻は、時間が止まってしまったような、妙に震撼とした空気に包まれていました。警察関係・自衛隊・ボランティアの人々の黙々とした地道な活動が、海に近づく道々で続けられている。本当に頭の下がる思いでした。海から少し離れた支援センターで自転車の贈呈が行われ、街なかは何も無かったかのような感じもありましたが、津波が残して行った家々についた染みは三ヶ月経った今でもそのまま見える。海岸部に近づくにつれ、復興の大変さ、地元の人達の日々の暮らしをしつつする努力の大切さ、前に進もうとする気持ちがアチコチに見える。古川駅から石巻支援センターに行くまでの間、田植えを済ませた田が、沢山見られた。出来ることからしていく日々の積み重ね。しかし道のりは確実に永い、誰が考えても本当に永い。「自転車送ろう会」の活動も自転車の要望が有る限り自転車、そしてその形を変えつつ、これからもずっと続きそう。続ける必要があります。横山女史の活動に皆様のご支援をお願いします。石巻へは、まだ鉄道の切断されている箇所があり、悩んだ挙句少し迂回しつつも無事行くことが出来ました。平日だというのに、新幹線は行きも帰りも満員でした。指定もギリギリの申請にも関わらず運良く希望した通り上手く取れ、ラッキーでした。以上報告します。  

Japan Relief ービスタの写真

 投稿者:ジャカランダ  投稿日:2011年 6月14日(火)17時42分57秒
  ビスタでの写真  

Japan Relief

 投稿者:ジャカランダ  投稿日:2011年 6月14日(火)17時31分43秒
  皆さんの東北への自転車送ろう会の活動は素晴らしい。同期生として誇りに思います。米国の活動も色々在りましたが 友人の誘いで訪れたSan Diego方面にあるビスタ市のムーン・ライト屋外劇場での救援コンサートでの写真を送ります。Soul Run -ソーラン節の踊りはSan Diego大学の日本人学生の同志達です。日本で踊っているさくら子さんを思いうかべました。他にも沢山の余興があり演奏者・観客一体となり東北への祈りをこめた楽しい夜でした。ビスタの日系人の建てたお寺で花祭りが同じ日にあってそこでも基金集めをしていました。以前このお寺の損害保険を担当させていただいたのですがはじめて訪れました。金時氷や巻き寿司、太鼓の音、風になびく立派なこいのぼりと懐かしい日本に帰っているようでした。最近は NHK の World News 等の番組がひんぱんにテレビで見られるので日本が身近になりました。世界がHi Tech のおかげで狭くなりました。  

川井様へ

 投稿者:まー松久院  投稿日:2011年 5月25日(水)23時04分35秒
  ありがとうございます。何回やっても、うまく本文が送れず、イライラしていました。いねチャンにたのみました。次回の報告は、うまくいくと思います。本当にありがとうございます。